お手本画教育から自由画教育へ

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NHKの大河ドラマ「真田丸」が始まりました。1月10日、日曜日の放送を御覧になった方々もおいでになると思います。戦国時代最後の名将真田幸村を主人公とした真田一族の家族愛にあわせたストーリーとのことです。この真田一族の本拠とする城は、長野県上田市に在ります。この上田の城は観光名所ですので「六文銭」を市のシンボルとした商店街は賑やかになることでしょう。

さて、そこでも一つご紹介したい場所があります。上田城公園内(上田市二の丸3ー4)にある山本鼎(かなえ)記念館です。山本鼎(1882~1946)は「自由画教育」の提唱者だからです。大正10年著書「自由画教育」を刊行した時は教育界に一大センセーションを巻き起こしました。「自由画教育」の中から、その主張するところを御紹介しましょう。

「自由画という言葉を選んだのは、不自由画の存在に対照しての事である。云うまでもなく不自由画とは、模写を成績とする画のことであって、臨本ー扮本ー師伝等によって個性的表現が塞がれてしまう其不自由さを救おうとして案ぜられたものである」と述べております。

この文章は大正10年に発表されたものですが、私が小学校1年生の時使用した国定教科書(今は教育委員会で選ぶ検定教科書ですが、昔は文部省で決めて全国どこでも同じ教科書でした)を開きますと「第1図 日の丸の旗」が示されてありました。

(今手元にあります)図工の時間には配られた小さな画用紙(B5)にクレヨンを使用してお手本通りに画かなければなりませんでした。日の丸の赤色がはみ出したり、旗竿の黒と黄色が同間隔に塗られてないと評価は甲・乙・丙の3段階で「乙」がつけられてしまいました。第2図は「木」 第3図「山」 第4図「家」 第5図「風船球」と今ではとても考えられないお手本教育でした。

今日、自分の好きなようにのびのびと表現することで創造性を豊かにすることを目的とする自由画教育の精神は山本鼎によって始まりました。

少々蛇足ですが、私は昭和30年から40年にかけて、山本鼎の自由画運動の精神を継承した「創造美術運動」に参加して、本園々児の絵をリュックに詰めこんで、全国各地を巡回して各地の先生方と議論をしておりました。このことが新潟中央幼稚園の幼稚園教育の中に活きています。

どうぞ皆様、信州上田真田城へおいでの際は公園内の記念館も是非御立寄りください。(園長 今湊 良敬)

 

 


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yk-2自画像(山本鼎)

 

 

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山本鼎記念館閉館のお知らせ
山本鼎記念館は、平成26年8月31日(日)で一般公開を終了いたしました。
現在は、上田市立美術館で作品を公開しております。

 

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2016年1月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : nckgdrctr